・・・へ開かれた「窓」
・・・へ開かれた「扉」
ドア、壁、窓といった、私たちを取り囲むすべてのセキュリティ・バリアのないこの世界を想像してみてください。
私の絵はこういったシンボルを表しています。
誰にでも見える、窓の向こう、開かれたドアの向こう、覗き穴の向こうにある「美しい景色」もしくは「身の毛もよだつ光景」、あるいはもっと単純に、私たちを隔てるこの壁の後ろから聞こえてくるざわめきや爆笑の声・・・。
私の芸術的表現は、これらに対する果てしない問いなのです。
私は、この生とは、ただただ「交差するドア」だと思っています。すべてが最初のドアである誕生から始まり、生を意味する中間のドアがあり、そして、墓への最後のドア、死がある。
この問いは、いつも私を悩ませます・・・。
結局、この生とは、ただ生きるため、楽しむための現在であり、またはこれから受け取る未来であり、しかし別の見方をすれば、何度も、何度も、何度もやってくる過去なのかもしれない・・・。
どれが正しいとは言えません。それは、答えのない問い、永遠のものなのです。
私が自分のアートに期待するものとは、・・・への窓を開くこと、・・・へ半分開かれているドアを描くこと、もしくは閉じている・・・
私は自分の絵について、心の広い人たちに話しています。なぜなら、彼らなら、彼らの社会のために、もしくは社会に対して、少なくとも一度は扉を閉めたこと、あるいは開いたことがある、と認めることができるからです。
自分の作品を通して、私はいつもこれらの出入り口の後ろにある私の属する社会を、私があなたとともにするこの世界の現実を、思い浮かべようとしています。そして、ただ私はあなたに自分の意見を聞いてもらおうとしているだけ。私は、非難し、発表し、たまには、むしろただあきらめることを選ぶ・・・
とあるアーティストの、シンプルな空想。
Grand-Pere (アマドゥ・トゥンカラ)

